「血の轍」「惡の華」「ぼくは麻理のなか」など心情描写が特徴的な数々の名作を世に出してきた奇才漫画家・押見修造
その新作「おかえりアリス」5巻の感想や考察を書いていきます
かなりマニアックな部分も読解していくので、5巻を読んだ方にこの記事をおすすめします
前巻(4巻)の感想はこちら
では、参ります!
「おかえりアリス」5巻の感想・考察【ネタバレ】
ちょっと最終巻のような表紙ですね…
もう基本的にはこの4人のレギュラーメンバーでお届けする感じです
さて、4巻では男でも女でもなかった頃に戻りたいと言いつつも、官能的なシーンが目立ちましたが、5巻はどうなのでしょうか!
読みます
・・・
・・・・・
・・・・・!!!
えぇ、ココで終わんのかよ!
それでは、感想に移ります
過去、過去、過去
過去多めの巻でした
洋&慧ちゃんの懐古
悲しい三谷の過去もわかり、三谷が洋ちゃんをいじめる理由も判明しました
回想シーンの洋ちゃんは、常に顔を赤らめボーイでしたね
相変わらずのモノローグなしでの心情描写も、もう職人芸と化しています
面白かったのは握りこぶし
この握りこぶしは、情欲に飲み込まれまいと固めた決意そのものだと思います
その後は固めた手の描写がたくさんあるのですが、三谷につれられてトイレに行ったとき開いちゃうんですよね
んー、業!
ちなみに、「僕らの本当の身体を、心を・・・」と慧ちゃんが言うシーンでは、「僕」ではなく、「僕ら」と表現しています
これは、
- 慧ちゃん→純粋な頃の心
- 洋ちゃん→性欲を持たない頃の心
ということですね
んー、欲!
性欲に取り憑かれる男の脆さ
こえーよ、お前…
ごめんなさい、ぱっと見の声が漏れてしまいました
P.82、トイレでキスしている時の描き方なんかもう、人間の醜い姿がありありと映し出されています
三谷が透明で、洋ちゃんの恥ずかしい顔がばっちり見えるわけですが、これは完全に三谷の嫌悪が反映されていますよね
「男の脆さ」には、押見先生の想いが非常に濃く反映されています
押見先生の「懺悔」なのかもしれません
いや〜な顔をする三谷が性悪に見えてしまいますが、この顔をさせているのは男・洋ちゃんなんですよね
「こんなひどいことされて怒らないの?」
のシーンは試しているというより、激情にかられてしまう男の弱さを露呈させたかったからでしょう
怒らなかった洋ちゃんに対して、キスと残念そうな顔、煽りを入れたのはそういう理由だと思われます
この下のコマも、黒すぎですよね笑
心の暗さ、後ろめたさを表現していると思われます
父は後ろ姿しか映らなかったりと、最も「男」を醜いものとして描いた巻でしたね
相変わらず次元が違う慧ちゃん
ヌードデッサンといい、次元が違いすぎる慧ちゃんでした
4巻で、「僕はただの人だよ」とは言うけれど、もうアフロディーテかなんかだと思ってしまいます
この「ただの人」というのは、純粋な心を無くした人の一人ということでしょうか
ただの人の反対である特別な人というのは、性別に苦しまない人ということだと考えられます
情に振り回される洋ちゃんとこの慧ちゃんの異常なメンタルの強さが対照的で、際立っていますね
あとがきについて
最近は「血の轍」などでも定着したあとがきスタイルですが、押見先生自身が「男を降りたい」と感じていたことや、その状況が赤裸々に語られていました
「おかえりアリス」は、そうした「男を降りようとした状態」を最大限に再現しようとしているのではないかと思います
男の外へ、舟を降りて、この現実で。でも、そんなことができるのか、どこにあるのか、僕にはわからない。
理想の状態がわからないからこそ、それを「漫画という理想を表現できる媒体を通してユートピアを吐き出したい」と思っているように感じました
ここまでテーマの核心に触れるあとがきは初めてだったので、あとがきをもとに1巻から読んでみると発見があるかもしれませんね!
まとめ:「おかえりアリス」5巻の内容・感想・考察【ネタバレ】
以上、「おかえりアリス」5巻でした
ただものすごいことが繰り広げられているのに、心情描写を文字で書かない
構図や表情での読解はゲキムズですね
このことばを惜しむのが押見作品の魅力なのですが、なかなか知り合いに勧めづらいのも事実!
もっと広まっちゃってほしい漫画ですね、布教がんばります
次巻(6巻)の感想はこちらから
コメント
握り拳のシーンは盲点でした….。
押見先生の心情描写には毎度感服させられますね。他の作品でいえば、血の轍はモノローグが殆どないですが、これが凄まじいと思います(特に表情)。
それと蛇足かもですが、「ただの人だよ」を僕は少し別の捉え方をしました。慧は、女装をしているという事もあって周囲から奇異の眼差しを向けられ、3巻では様々な部活動からオファーが殺到するシーンがあったように、特別な存在としてある種崇拝されていました。しかし慧も人間味のある1人の人間であり(悪の華でも佐伯さんが「私は人間なの!」と言うシーンがありましたね)、その意味で人間に差異はないんだよ、といったような感じのメッセージに聞こえました。
感服!ほんとにそのとおりです…
モノローグは押見先生の最近の作品ほとんどないですよね。
ぜんぜん蛇足じゃないです!蛇そのものです!
「ただの人」については、間違いなくそうだと思います。
その解釈も私の解釈も並行してあると感じました。
短いセリフにいろいろな意味が含まれていますね…