「惡の華」「ぼくは麻理のなか」など、爆発的な心情描写が描かれる名作を世に出してきた奇才漫画家・押見修造
そんな押見先生の描く「血の轍」15巻の感想、考察や見どころを書いていきます
まず、220万部突破おめでとうございます!
ここまで人に余韻を残せる漫画が日本にいくつあるか
読解ゲキムズですが、ファンとしてはもっと売れてほしいと思ってしまいますね笑
1時間半かけて15巻を読み終え、いろいろ考えたので参ります
ママの過去編へ!「血の轍」15巻の感想・考察【ネタバレ】
表紙だけで15分くらい見ていました笑
13巻からずっと青だった表紙、久しぶりに現実の色が真ん中に加わりましたね
パット見だと突破口が見えて真実を知れるように思いましたが、中にいるのは美化されたままのママ
希望の中にある絶望のような感覚になり、とても不可思議です
不必要に赤い(11巻の表紙のような色の)目の角膜の部分も不気味さを演出していて、読む前からトリハダが立っていました
では、順序に沿って語っていきます
恐怖の猫探し
1ページ目の爽やかなスタートから一変、恐ろしいほど客観的なママがいました
そして猫、猫です
「血の轍」のネコ出現率の高さ
俳優ですし「猫かぶる」という言葉はママのためにあるように感じてしまいますね
そして、「私が守ってあげなきゃ。」という発言!
めちゃくちゃ怖かった。もうホラーですよ
なんで怖いって、静一は守らずに猫を守る感じです
衝撃の裁判シーンが呼び起こされますが、次のページで猫と静一を重ね合わせていることがわかり、少しホッとしました
いつも静一を探して徘徊していたのか、と想像させる老齢ママの描写ですね
ここなんかも上手いです!
手を前に出して探しているのが歳を感じて、いないものにすがるようでうまいなと、
うらめしや〜と言う霊のようで、死が近づいている年齢であることが見て取れます
こんな細部まで言っていたらキリがないですね。やめます笑
家でのママ&1巻の表紙!
リアルなママの年齢でも美しいのがむしろ怖いですが、お金のことママがわかっているとわかったときの恐怖たるや
演者としてのママが伺えます
このあと俳優をしたかった想いと重なって恐怖倍増です
恐怖で言うと、背景など、押見先生は白の使い方が怖いですよね〜
瓶じゃなくてパックの安いお酒を飲んでいたことからもその生活の大変さがわかってリアルです
また、1巻の表紙がアルバムになっていたのも驚きました
極端に違う部分はないですが、よく見ると「親子の距離」「母の口角」「目の大きさ」が異なります
1巻表紙より、現実であるアルバムの方が親子が離れていて、母が笑っていなく、目が少し小さいです
それでもママは美人ですよね
静一補正がインスタくらいかかっていると思っていましたが、シンプルに日本美人でした
根幹を辿るママの過去編
そして、物語はママの過去編へと流れていきます
病弱な妹にお母さんがしていて、自分がされなかったことを、静一にしていたようですね
押見先生自身の苦悩と重ねていることは、「女であることもいやだった。」というセリフから特に強く感じました
これはあとがきで書かれていましたね
あとがきはこの漫画を解釈する上でとても助かります
性については「おかえりアリス」で強く描かれていますね
開く瞳孔、15巻では目だけを映すコマが多く、目に対する心情描写の意識の強さを感じました
俳優を目指していたママ
そして、俳優ですよ
いよいよママが演技かどうかわからなってきました
ママが昔できなかったことをやっているとしたら、これまでの行動に演技が混じっている可能性があります
もー、これ以上難しくしないでください笑
これから、私の人生がはじまるの。
これは完全に12巻106話との対比ですよね
希望を胸に抱いた発言ですが、同じことを繰り返していることがわかります
根本の性は変わらないということでしょうか、粗い絵が記憶のあやふやを表現していて素敵ですね
あと同じく押見作品の『惡の華』だとも思いました
田舎から出るの部分と、向こう側という曖昧な表現を使っていることが共通しています
なにかわからないけど、閉鎖的なここにはいたくない
正体不明の憧れと希望、これは私たちも共感できる部分ではないでしょうか
すべてが遠く、客観視
すべてを遠くから見てるように思えてしまい、どこかさみしい
だからこそ静一を愛する
でもその近さと遠さのギャップが、1〜14巻で描かれたママの異常行動につながっていたのですね
結婚式の「見ていた…」も、自分が自分じゃないような感覚を見抜かれて目を背けていました
「嬉しかったと思う。」という発言も、普通は「嬉しかった」ですよね
この「思う」一つで、どこか引いていることを表現しています
というか、一郎さん、イメージと違う!
4回留年していて、詩人だったのですね
めちゃくちゃ真面目な印象だったので、ギャップを感じました
静一の名前の由来
静子と一郎から一文字ずつとって静一というのも、皮肉っぽく感じてしまいます
両方から対等に愛を受けるような名前なのに、片方に狂気的な偏りがあるからです
お父さんが漫画の表紙に出てこない記録はずっと更新していますし、静一の心におけるママの割合は9.9割以上でしょう
異様に多い正面の顔
主にママですが、15巻は特に正面の顔が多かったように感じました
正面ということで、現実味がました気がします
顔に関連して、このシーンもハッとしました
今までママが美化されていたのは、近すぎて見えていなかったからです
顔を見せない=真実を見せない=嘘
ということになりますし、演者としてのママを強く感じました
【タイトル回収】受け継がれる歪み
ママのママ(静一のおばあちゃん)も、言いたいことを言えない感覚が合ったことが15巻でわかりました
静子が狂っているのか、静一が狂っているのかというのは、もう不毛な議論ですね
血が狂っていたのかも知れないと思いました
家族というところでいくと、お義姉さんとしげちゃんもイジワルでズカズカ言うところがかなり共通して濃く描かれています
まさに、血の轍
「血の轍」はボブ・ディランのアルバムから由来しているそうですが、まぁタイトル回収の片鱗がチラチラ見えた気がします
そんな巻でした
まとめ:「血の轍」15巻の感想・考察【ネタバレあり】
以上、「血の轍」15巻の感想・考察でした
あとがきの情報量すごいです
押見先生にとってこの作品を描くことは、過去の自分の救済でありながら、過去を思い出すことで自らを苦しめる鎖なのだと感じました
ほんと、年に1巻出してくれれば私は満足です
静一の苦しみは終わって欲しいけど、作品は終わってほしくない
そんな複雑な思いに毎巻なります
最後に、心情描写だけではなく、「あきらめた。」で、明かりが消える演出など、表現としても面白い作品だということは言っておきます!
こんな長い記事を読んでくれた方、本当にありがとうございます!
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押見先生のインタビューまとめ↓
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