「惡の華」「血の轍」など、爆発的な心情描写が描かれる名作を世に出してきた奇才漫画家であり、新たな漫画賞「スペリオール ドキュメントコミック大賞」の審査員にもなる押見修造
そんな押見先生の描く「血の轍」17巻(最終巻)の感想、考察や見どころを書いていきます
そんなこんな考察を書き続けてきた「血の轍」ですが、完結!!
人生における楽しみと苦痛が減ってしまう!と思いつつ、読んでいきます
きれいに、前へ。「血の轍」17巻(最終巻)の感想・考察・レビュー・【ネタバレ】【祝完結】
誰もいない表紙
筆者の恒例となっている表紙からの読解が始まりました
「血の轍」は、表紙だけでも30分くらい読む価値ありですからね
んーー、薄くない?
遠目で見ても、、、色薄いね
筆者は電子で読んでいるので、読み込みの間だけ薄いと思ったらずっと薄い
圧倒的終わり感(巻)を思わせるペールトーン
そして、人物不在というイレギュラーです
1〜16巻までは表紙に静一かママがいました
これは、16巻から始まった過去の精算を表していると思われます
きれい、さっぱり、ですね。
あぁ、終わりなんだな。と否が応でも思わされてしまう表紙でした
見る。見る。見る。
出典:血の轍 147話
いや〜〜〜、見てましたねー
犯罪防止ポスターくらい見てました
16巻からの「僕が見る」という言葉通り、母親の現実と最期を17巻でも直視していました
「目」を意識的に描く作者でもある押見先生のこだわりも垣間見えるポイントです
面倒を見るといった面もありましたが、介護や亡くなった後の行動から見るというのは決して比喩ではないことがわかりました
母親が幼児化しているシーンも象徴的でしたね
静一がほんの少しの笑みを浮かべながら寝かしつけるようにトントンとふとんをさする
ずっと親の支配下にあった青年が親をある意味支配するこの光景は、決別と恩返しそのもの
16巻でも描かれていましたが、終わりを感じさせるシーンです
出典:血の轍 88話
24Pで7回も「見る」という言葉が出てきた10巻88話からも分かる通り、
見る=支配するのように描かれている部分もあります
88話はママのサイズがめちゃくちゃ大きいんですよね
静一の心に占めるママの大きさをそのまま表しており、逆の立場になっていく流れを感じました
あとこちら
出典:血の轍 147話
骸骨に見えてしまったのは私だけでしょうか
死を感じさせる描き方に、ちょこっと鳥肌が立ちました
取調室のようなファミレスでの会話
出典:血の轍 148話
そんでもって眠気に苛まれてやってきたのがここファミレス
ママはちょっと面長で静一バイアス少なめで描かれています
ビジンなままであることには変わりませんが…
14巻あたりから、ママをどれだけ美人に描くかで主人公の心情を表現してきた押見先生ですが、ラストはノーマル
粋です…
最後の会話にファミレス選ぶのかと一瞬思いましたが、ファミレスといえば17話にて静一がなかなか注文できなかった(自分の想いを言えなかった)場所
17巻では二人の本音トークが飛び出していくため、対称的に描いています
「静一のことを愛してたよ。」
というパワーワードで静一も、読んでいる我々も救われました
もうツラい時間が長すぎたもんで
眩しいくらいの光に照らされて、感動のシーンでしたね
ただ、静一の「愛してるよ。」はわかってるよーと思ってしまいました笑
わたしたちは何を見せられているんだ…
雨の意味
出典:血の轍 149話
ピカーンと晴れていたのに急に雨!?となり、文字通り雲行き怪しいかなと思いました
が、大丈夫でした
通常、雨はネガティブな気分を表しますが、ここでは雨は精算の意味を持つと思われます
今までのことを水に流す、洗い流すという感じです
また、罵り合いという点でも雨なのかなと思いました
ただここまでこの2人が本音を言い合ったことはないですよね
こんなに感動する陰湿な悪口の言い合いを見たのは初めてです
人生で初めての解放
ママが亡くなっていたシーン
虚ろな目をしていた静一ですが、笑っていました
これは、「なんだ、俺はこんなやつに支配されていたのか」という解放宣言なんじゃないでしょうか
介護を通して向き合う覚悟ができていたことを感じさせるワンシーンでした
人間の最後を正面から見つつ、外に出て世界の広さを肌で感じるシーンもエグい描き方しています
ゴッホの「星月夜」みたいですよね
「星月夜」もゴッホが死ぬ前の年に描いたもので、星という死後の世界を意識させるものとして描かれました
解放のシーンも、不気味さと荘厳さは同じ意味合いがあるんじゃないかなと思いました
総じて、ポジティブで良かったです
吹石由衣子
吹石のシーンからは、人はだれでも、過去に囚われることがわかります
静一もそういった人の一人だったという比喩にも見えました
「なつかしい」と言っている吹石のことが「なつかしい」と思った方も多いはずです
数十年後・・・顔を描かない最終話について
出典:血の轍 最終話
終わっちゃったよ!!!
あ〜、ここで終わるのか…としみじみする
日常の何気ないよくある日を切り取った最終話でした
独り身、ですね
布団が一つだったことや、何もしゃべらず、他の人の物もなかったためそう感じました
中学生以来は人を愛するという普通の人生を歩んだ吹石とは、対比的な話です
図書館に通って年金暮らしをする普通のおじいさんですが、他と違うところといえば顔が最後の最後まで見えないところ
最後の夕日を見る目以外は、顔が描かれていません
これは、ごくごく普通の生活をする一般人であること、表情に極端な揺らぎがない生活をしていることが理由ではないかなと考えました
最後のぼやけ顔は、1巻の表紙ですかね
母のことを思い出すものの、顔まではわからない
これは、母親という存在が完全に抑圧されたわけではなく、しっかりと折り合いをつけながら消化されていったことを示しています
見るところから始まり、見えないで終わる。というのもきれいですね
ハッピーエンドなのか、最後の見開きページのように曖昧にする形は好きでした
余韻が良いですね
母親の呪縛から解き放たれ、真の意味で一人で生きる静一
個人的には、物語としても、人生としても、ハッピーエンドだったのではないかと思います
全巻読んでみて
もう祝うべき完結です
押見作品は全て読んでいますが、もう体重の乗り方が群をぬいてヤバい「血の轍」
押見好きということもあり、静一じゃなくて押見先生の方に感情移入しちゃう面もあるんですよね
あとがきが悪さしてます笑
あとがきの「出し切った」という言葉からも、押見先生の人生昇華が行われているようでそういった意味でもホッとした気持ちが強いです
全巻通してやっぱり、押見先生は心情描写のパイオニアだと感じさせられました
- 作画崩壊で心情を表したり
- 年齢操作で心情を表したり
- あんまんで心情を表したり
ありとあらゆる比喩と表現で心を揺さぶってくる作品でした!
あえて才能を冠するなら、地獄です
もう苦しい。ここまで次の巻を読むのが楽しくてツラい漫画はそうありません
あと、「血の轍」の注目ポイントは、ネコ、目、支配、押見!
この4つに着目して読んでみると面白い発見があると思います
タイトル「血の轍」について
ボブ・ディランのアルバム名から由来する「血の轍」
そこまでくっきりとはこのタイトル回収がされなかったため、ちょこっと話します
まず言葉の意味としては、轍=通った場所なので、家系の性、遺伝みたいなものですね
このタイトルが垣間見えるのは、
- ママとママのお母さんの言いたいことを言えない性格
- 静一とママの支配欲
- お義姉さんとしげちゃんもイジワルな面
などでしょうか。
ただ、これだけ母親の存在を疎ましく思っていて、それでもなお介護という形で恩を返す
そして、母のことを忘れる
最後は、静一が同じ道を通らず、血を乗り越えた形で物語が終わっているように感じました
子どもも多分いないでしょうし、血の轍を断ち切ったといえる終わり方なのではないでしょうか
まとめ:「血の轍」17巻(最終巻)の感想・考察・レビュー・【ネタバレ】【祝完結】
以上、「血の轍」最終17巻の感想・考察でした
読み終わってみれば、静一のようにスッキリとした気持ちでした
こんな気持ちで終われるとは誰が思っていたでしょうか
確実に、日本の漫画の心情描写史に爪痕を残した漫画だと思います
心情描写界では、押見以前、押見以後という言葉が後々できてもおかしくないと思いました
「血の轍」描いたら引退しても良いと押見先生が語られている記事もあるため、今後の作品が出るのかにも注目ですね
ここまで鬼長い文章を読んでいただき、ありがとうございます。
ではまた
前巻の感想はこちら
押見先生のインタビューまとめ↓
コメント