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支配からの解放とポジティブ猫「血の轍」16巻の感想・考察・レビュー【ネタバレ】

巻ごとの感想レビュー

「惡の華」「ぼくは麻理のなか」など、爆発的な心情描写が描かれる名作を世に出してきた奇才漫画家・押見修造

そんな押見先生の描く「血の轍」16巻の感想、考察や見どころを書いていきます

交互に発売される「おかえりアリス」と「血の轍」を読んでいく押見ループが完成している筆者ですが、「血の轍」は大詰めに入ってきています

追記:最終巻の感想はこちら

では、読んでいきます

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支配からの脱却!そして精算へ「血の轍」16巻の感想・考察・レビュー【ネタバレ】

表紙:青からの脱却!

押見修造先生の作品はまず表紙から読解が始まります

13,14,15巻と続いていた青の表紙からついに抜け出しました!

青は色として悲しみや苦しさを表していると思われるので、読む前に少し気持ちが楽になりましたね

相変わらず文字は仰々しい赤ですが笑

また、中央にいる静一は20代くらいに見えます

実際よりもかなり若くハンサムに描いているのは、過去に戻る + 新しい自分になるという決意の現れのような気がします

よーく見るとちらちら見える桜の花びらも、新しい生活を暗示していますね

きれいな過去

出典:血の轍 137話

ママには、殺し殺された過去があることがわかりました

殺されたというのは、15巻で描かれた過去のエピソードや家族の性質(血の轍)が関係しています

ママが殺した(突き落とした)理由は、静一としげちゃんを突き落とすことで過去の負の感情を解消しようとしたからだと考えられます

「きれい」と繰り返し語ったことも、相殺することできれいサッパリ精算ということですね

客観的に見ると異常行動なわけですが、バックグラウンドが明かされることで厚みが増しています

この後に何度も出てくる「もう、このままでいいです」も、「殺してくれ」と言っているようなものです

これも、自分が死ぬことで更に完璧に精算しようとしているのではないでしょうか

「殺す」を軸に16巻を連続的に読んでいくと恐ろしいものがあります

「ごめんね」と謝る幼児ママも幼児退行したママを直接表している気がしますし、表情が不釣り合いなほど大人びているのも恐ろしいです

ここらへんも流石の押見先生、静かに魅せてきますよね

猫・猫・猫

出典:血の轍 138話

「血の轍」を象徴するアイコンにもなっているネコ

過去の中で初めて生きたネコが出てきました

14巻ぶりのネコですが、だいぶポジティブになっていますね

14巻のネコはこちら↓

出典:血の轍 125話

比べてみると全然違いますね

ネコの意味については、14巻の考察で語っているので割愛しますが、ネコには静一の心情が反映されていることがバシバシ伝わります

生き返ったネコからは静一のもういちどやり直そうという気持ちに感じました

やはり、16巻からは精算がテーマになっているような気がします

ネコを通して支配→反抗→精算の流れを感じました!

肉まんの呪縛

これはちょっと怖い話です

16巻では、肉まんを食べさせるシーンがありました

「肉まんorあんまん」の質問に、子どもの頃からあんまんと言えなかった静一は1巻から描かれています

肉まんを通してママの支配を表していたわけですが、その支配権が16巻で静一に渡ったことを示しているということです

しかも、静一の仕事先の工場で描写されているのはあんまんなんです

これは、肉まんの呪縛から逃れているということであり、静一の成長そのもの(もしくは逃避)です

働き始めてから何度も繰り返し描写されていて、筆者は気づくのが遅かったのですが、皆さんは気づいていたでしょうか

「肉まん = 支配」「あんまん = 解放」ですね!

こぼれちゃう

16巻では、認知症のママを賢明に介護する静一の描写が描かれました

一番やばいシーンはここだと思います

出典:血の轍 143話

、、、これ衝撃でした、、、

ピカソのキュピズムのような、子どもがやった福笑いのような、なんとも不気味な描写です

顔という人のアイデンティティからパーツがこぼれ落ちているのは、静一からママの偶像の崩壊だと思われます

「こぼれちゃう」は、16巻の象徴的なワードでしたね

ただの比喩ではなく、ドロドロになっていくママがあったり絵としてこぼれていくのはリアリティがありました

ドロドロのママに対して、「まって」と言う静一も印象的です

出典:血の轍 144話

まだこぼれてほしくないんです

まだ想像と理想の中間にいるママは、ママのままでいてほしいんです

ママから抜けきれていない静一と、それでも現実として崩れていくママ

この板挟みになっている静一の心情の表現にトリハダです…

16巻の終わり方について

「僕が見る」という言葉の通り、現実を直視する静一の覚悟が介護を通して描かれていますが、

背負う勇ましさと対比して気になったのはカバンに入っていたフォトアルバムです

フォトアルバムは、過去や記憶です

過去を直視するという意味でアルバムを持っているのか、過去にしがみついているのか

部屋が空になっていることから、布団などの荷物は引越し業者などで送っていると思われます

それでも、アルバムをその中に入れなかったのは、壊れないように持っておきたいからではないでしょうか

2コマ使ってバックの中身が描かれていることも、アルバムの重要性を物語っています

詳しくは次の巻で分かると思いますが、一つ言えるのは静一は過去を重要視しているということです

次巻でその答え合わせを見れそうですね

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まとめ:「血の轍」16巻の感想・考察・レビュー【ネタバレあり】

以上、「血の轍」16巻の感想・考察でした

描写として恐ろしいものもありましたが、全体を通してポジティブなトーンの巻だったと思います

あとがきでは、親の支配から解放された押見先生の話が展開されていました

「おかえりアリス」のあとがきとは異なり、小説的ですね

苦しみながらも、漫画とともに前に向いているように感じます

「血の轍」は特に体重の乗り方がハンパじゃないですからね

作品としてあとがきであった「責任」を昇華していくのでしょうか

終わらないでほしいようで終わってほしい、そんな人の感情を揺さぶる漫画だと16巻でも思わされました

ではまた

前巻の感想はこちら

押見先生のインタビューまとめ↓

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